2007年08月29日

カメルーンがやってきた 中津江村長奮戦記(坂本 休 著)

2002年、「FIFA World Cup KOREA/JAPAN」が開催された。
日本全国の各自治体によるキャンプ地誘致合戦がヒートアップした。

エムボマ、エトーを擁する不屈のライオン、カメルーン代表のキャンプ地は、
なんと人口わずか1,360人の大分県日田郡中津江村だった。

カメルーン遅刻騒動で一躍有名になった中津江村の村長と事務局の職員が、
招致活動から準備、キャンプ開催中、そしてワールドカップ終了後の
村人たちの心境の変化について語ったエッセイ。

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2002年、人口1,360人の大分県日田郡中津江村は、日本と韓国で開催された
サッカーワールドカップに出場するカメルーン代表のキャンプ地となった。
久米宏のニュースステーションが「一番小さな自治体のキャンプ地」として注目し、
到着が遅れた騒動を毎日取り上げたことで、一躍全国的に有名になる。
この本は、中津江村長の坂本休氏および事務局職員のワールドカップ回想録。

中津江村の「鯛生スポーツセンター」はスポーツの合宿所としては十分に
整備されていたのだが、「村営」という響きが「国営」「県営」の施設と比べて
分が悪く、設備を見てもらう前に検討対象外となってしまうことが多かった。
そこで、知名度を上げるための一策として、ワールドカップ公認キャンプ地への
立候補を思いついたのだった。

当初、「公認キャンプ地候補」となればいい宣伝になると思っていたのだが、
大分県と中津江村の招致努力や鯛生スポーツセンターの設備が認められ、
全国で最も早くキャンプ誘致に成功した。

中津江村では、毎年1月に村民総出の新年の宴会が催されていた。
この席で坂本村長は「カメルーンキャンプを絶対に成功させなければなりません」
と村民に伝えた。

もともとサッカーやワールドカップのことをほとんど知らなかった村民たちも
次第に盛り上がりを見せ、さまざまなボランティア活動が生まれていった。
あるグループは、花壇に黄、赤、緑の花を植えてカメルーン国旗を作っていた。
活動資金は大分各地やJ2の試合会場などで募金を行って集めたりした。
またあるグループは、選手がキャンプ中に部屋で使うコースターやタペストリー
などを作っていた。キャンプ終了後、それらは少ししか残ってなかったそうだ。
選手たちが気に入って持ち帰ってくれたのだ。

着々と準備は進み、あとはカメルーン選手団の到着を待つばかりとなった。
しかし、到着前夜に村に入ってきた連絡は、到着が翌日深夜に遅れるという
連絡だった。その後スケジュールは伸びに伸び、連日それが報道されたので
ますます注目され、待つこと4日。ようやくカメルーン代表は日本に到着した。
一行が中津江村に到着したのは午前3時半だったのだが、150人以上の村民が
カメルーン国旗を振って待っていた。選手たちも感激し、長旅の疲れも見せずに
握手やサインなどに笑顔で応えてくれた。

ところが、カメルーン代表の到着が遅れたことで、交流行事の多くについては
実現が難しくなった。大分県高校選抜チームとの公開練習試合についても
一旦は中止になったのだが、なんとか実現できないものかと水面下で準備は
進められていた。しかし、カメルーンチーム側は公開練習試合ではなく、
公開合同練習を行うとの一点張りだった。試合と練習では意味合いが全然違う。
ここでスタッフの1人、北村さんが一計を案じる。

グラウンドに入ろうとするカメルーン代表の選手たちに、保育園の子どもたちと
手をつないで入場してもらった。その後、選手たちは子どもたちと写真を撮り、
その後高校生たちとも写真を撮り、その流れでそのまま試合が始まってしまった。
最後まで試合に反対していたシェーファー監督まで飛び入り参加し、
練習試合はかなり盛り上がったようである。

また、カメルーン代表の歓迎式典も中止になってしまった。
子どもたちは千羽鶴でカメルーン国旗を作ったり、カメルーン国歌の
演奏の練習をしていたり、花笠音頭の披露をするために何ヶ月も前から準備を
していたのにすべてが無駄になってしまおうとしていた。

そこで、歓迎式典の代わりに壮行会を開催するよう交渉が始まった。
体育館で子どもたちが待っている中、スタッフの北村さんはなんとかして
壮行会に出席してもらおうと監督に掛け合うが、どうしても首を縦に振ってくれない。

「子どもたちにどう話せばいいの?」泣き出してしまった北村さんに、
主将のソング選手が「どうしたの?」と声をかけてきた。
「中止になった歓迎式典のために、子どもたちはもう何ヶ月も前から歌や踊りを
一生懸命練習してきたのだから、3分でもいい、来てほしい」とお願いすると、
壮行会のことを知らされていなかった選手たちは、自主的に壮行会に集まってくれた。
1時間半ほどの壮行会に、選手をはじめ結局は監督まで出席してくれ、
最後の花笠音頭の踊りにはエムボマ選手をはじめ、何人かが一緒に踊ってくれた。

こうして、7日間のキャンプはあっという間に終わった。
カメルーン代表の選手たちは、初戦のアイルランド戦に向けて新潟に出発した。
100人を超える村人たちが、カメルーン国旗を振って健闘を祈りつつ送り出した。

中津江村の村民たちの応援もむなしく、残念なことにカメルーン代表は
グループリーグで敗退が決定し、早々と帰国してしまった。
しかし、2戦目のサウジアラビアに勝った翌日、主将のソング選手が
「この1勝を中津江村の人たちに捧げます」とわざわざ電話をくれたという。

今回、カメルーン代表のキャンプ地となったことで、中津江村民が大きく変わった。
サッカーに興味のなかった人たちも、決勝戦まで全部観戦したり、世界地図を片手に
出場国の位置を調べたり、新聞記事をスクラップする人も現れた。
観光施設には大勢の観光客が詰め掛け、職員がうれしい悲鳴を上げていた。
これまで出身地を聞かれると「多分知らない、つまらない所だよ」と言っていた
村民たちが胸を張って「中津江村です」と言えるようになった。

カメルーン中津江村キャンプは、いろいろな方々の支えがあってこそ
成功をおさめたものであるし、中津江村の名を全国に知っていただくことができた。
そうしたご厚情に今後、村民の方たちが感謝の気持ちを常に抱きながら、
いかに応えて行くかということが大事な課題だろうと、坂本村長は結んでいる。

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あのワールドカップから5年も経ちますが、確かに中津江村のことは忘れません。
他のキャンプ地ってどこでしたっけ?それくらい中津江村はインパクトがありました。

自分の出身地を自信を持って言えるってのは素晴らしいことですね。
自分も出身地を聞かれたときに「苫小牧」って言うのではなく、
「安平町」って言えるようにしなきゃあ。あんまり有名じゃないけど。


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